Short Story(SFC)-短い話-
冷たい手
いつだって冷たかった彼の手を、あたしはすぐに思い出せる。
「お前さんはいつ見ても変わらないなー」
きっと始まりはガウリイの何気ないひとこと。
それまで意識したことなんてなかった。
「そりゃリナと比べたら。旅続けてるか否かの違いじゃない?あたしが変わらないんじゃなくてリナが変わったのよ」
肩をすくめて笑ってあたしは言う。彼がリナと比べてそう言ったのがわかったから。
二人の家。
旅をやめて落ちついたリナ達のすみか。
旅すがら近くに来たので訪れた。
久々会ったリナは前にも増した強さと穏やかさを見せていた。多分もうすぐ生まれる子供のためだろう。
少女、とは呼べない大人の女性らしさ。中身だけでなく表情やゆるやかな成長によって。
彼女のコピーのはずのあたしは、今や彼女とは違う個々の人間だとわかるほどの差ができていた。
あたしにはそう言ったものは未だ持ち合わせていない。
「一箇所に生活して。リナと同じようにしてればきっと同じよ」
確かに最近は年相応にあたしは見られなくなってきた。若い、といわれる。もう20半ばなのに10代と間違えられる。
元々がリナが幼く見えるタイプだし。まああたしの年齢なんて実年齢とは違うけれど。
「じゃあ、子供生まれて落ち着いたらまた旅に出なきゃねー、若さ保つためにも」
話を聞いてたらしく、大きなおなかを撫でながらリナが言ってあたしたちのそばに来る。
その言葉にガウリイが苦笑する。あたしも笑う。
そんななんでもない、一言、一場面だったはずなのに。
けれど、さすがにそれから5年・10年も経てばその異常さに気づいた。
笑い話にならなくなった。家庭を持たないから、一箇所に留まっていないから若いままなのだという言い訳をさせてくれないほどに。
「・・・歳を、とれないのよ」
旅の途中で偶然出会えたゼルに。姿の変わらないあたしに驚く彼に。あたしは淡々とそう告げた。
あたしとは対称的に彼はずいぶんな変貌を遂げた。戻った、が、正解か。
人の身体に戻る術を手に入れた。
端正な顔立ちに、歳相応に年月を重ねた姿。今いくつだったろう。30半ば?
姿が戻った後は気の向くままの旅をしていたらしかった。
「傷つけば、血も流れるし。病にも侵されるのに」
死ぬることは簡単なはずなのに。今までのあたしと同じコピーがそうだったように。
「それでも、あたしはひとではなかったみたい」
時が動かない。
―――生み出したものと同じように。
魔族に生み出されたコピーは。
言い訳ができないほどあの頃から何も老いない。
人間なら。喜べたのか。不老を手に入れた、と。
喜ばなきゃいけないのか。
―――あたしは。
「老いたい、か?」
ゼルに真っ直ぐに見つめられて、問われる。
「お前は人間だ。ただ俺と同じように、別の力でその力を止められてるだけだ」
「――――」
「俺は、この通りもとの身体に戻った。理屈からしたらお前だってきちんと歳をとれる方法があるはずだ」
「・・・・・・でも」
「俺のじいさんだかひいじいさんだかが100は超えてたが若いまま生きていた。不死だったわけじゃない。それなのに、だ」
歳を重ねた彼は、穏やかに、けれど話し方は昔と全く変わらない雰囲気でそうあたしに伝える。
「奴の研究資料を調べればお前の時間も動き出す方法があるかもしれない。可能性は高いと思う。調べるのにつきあってやる。
もっとも。・・・・・・・お前が、それを望んでいるなら、の話だが」
今の状況から変えられる?
時を動かすことが出来る?
まさか、とは思ったものの言えなかった。言うべきでないと思った。
多分あたしの中でまだ、人でありたい、という希望がまだあったからだ、と言うのと。
言ったのがゼルだったから。
元に戻ることが不可能、難しいと言われてた彼はきちんと自分でそれを打破した。
希望のかたち。
「・・・・・賭けて、いい?」
弱くあたしは彼の目を見て言う。
「可能性に。その為にゼルを、頼ってもいい?」
精一杯の決意が、泣きそうに見えたのか彼はうなづいてあたしの頬に手を触れた。
もう岩でできている身体でないその手は、それでも冷たかったけれど、心地よかった。
そしてあたしたちは一緒に旅をし始めた。
彼の言うおじいさんだかひいじいさんの遺産は結構ごろごろ出てきた。
確かに不老の手段もぽろぽろとでてきた。
けれどゼルの時と同じ。
その身体に『する』ことは簡単でも『戻す』方法なんて簡単には見つからない。
どれくらい時がたったのか。
老いないあたしは隣にいてくれた彼の老い方で判断するしかなかった。
から、その彼の異変に気づくのが、自分のときよりも遅れた。
「ゼルの時間、ちゃんと動いてる?」
ある日、ふと気がついて何となく言ったその台詞に、彼は言葉をにごした。
それで初めて気づく。
彼はあたしに合わせて時を止めたのだ、と―――。
方法なんて今まで探した遺産からできたはずだ。
いつから?今の彼はいくつだった?いくつに見える?
ああ、感覚が鈍ってる。
本当の時間がわからない。
ただ少なくともリナにはもう孫が生まれたとかそんな話を聞いた気がする。
それもいつだった?
あたしたちは、今どこにいる?
「どう、して?」
どうしてあなたまで、と口にしたところで涙がこぼれそうになった。
涙腺は弱い。
感情だけは歳をとっている。それとも元からか。昂ぶる。
「・・・・・お前の時間を動かしたとき、一緒に戻ればいいだろう」
このままお前だけをその時間に置いていくわけにいかない、と言ってくれた。
長い時を一緒に刻んで、気がつけばあたしたちの絆は深くなっていた。理由なんてない、わからない何かを。最初は同情とか、近親的なものとか、別のものだったのかもしれないそれが。
多分もう誰も入れない。
思わずあたしは彼の胸に飛び込んで、泣いた。
自分から触れた彼の手もやはり冷たかったけれど、とてもとても好きだと思った。
それならそれでいい、とあたしは思えた。初めて今のままでいいとその時思えていた。
例えこのまま時間が止まったままでも彼がいるなら構わない。
本当は、巻き込んでしまったこと。同じ体にしてしまったかなしみはあるけれど。
それ以上にいとしかった。
おいてかないで。
・・・・・けれど。やはりそれがかなわないのは、生まれ方の違いだった。
あたしは人とはやはり違う。
彼とも。
ずいぶん老いて、ベッドで横になる彼の手をあたしはそばによって握り締める。
所詮ひとの作り出したものには限界がある。
不死なんて。不老なんてありえないのだ。本来の生まれ方では。
既にリナも滅びて。知っている人はみんな滅びて。200年近くの時が経った中でも彼が生きていたのは世間からしたらすごいのかもしれない。
十分時が止まっていたといえると思う。
けれどとてもとても緩やかにやはりそれでも彼の時間は動いていた。動いていて、今終盤を迎えた。
あたしにはゆるやか、ですら頑張っても手に入らなかった。
「すま、ん」
ゼルからこぼれる言葉。
こんな時でもあたしを気遣う。
ふるふるとあたしは首を振った。
世間からしたら祖父と孫、に見えてただろう。最終的にそれくらい差が出た。
それでも。あたしは。
「こうなったら。生きろ。・・・・お前だけでも」
「・・・・ゼル」
「・・・・・俺が生まれ変わってくるくらいまで。・・・・・そうしたら再び術を探してやるから・・・・一緒に」
生まれ変わるまで。
置いていけない、と言っていたくせに。実際この時になって連れて行ってはくれない。それを望まないから。その代わりに。
おいてかないで、と言いたかったのに、叫びたかったのに言わせてくれなかった。胸にナイフを突き立てて追いかけたかったのにそれをさせてくれなかった。
その代わりに約束をおいて彼は逝く。
その時握った手の冷たさはいつもとは違った。
「お孫さん、ですか?」
「・・・・・・彼をあいしていました」
彼を墓地に葬ることになったとき、神官に問われてあたしは迷わず首を横に振り、涙も流さず答えた。
自分を人間だ、と胸をはっては未だいえないけれどそれだけはいえる。
時が止まっていてもあたしの世界は動いていて、とまらなかった。
それだけは彼から与えられた。
―――そして、その冷たい手のぬくもりを思い出して、約束を探してあたしは今も生き続けている。