Short Story(SFC)-短い話-
たまゆら夢想
きっと、彼は最初から夢を見てはいなかった。
「……あ」
宿屋で食事を済ませてそれぞれの部屋に戻るとき。
ふっと自分の部屋の扉を開けて背を向けた旅の連れ―――ガウリイを見てあたしは気付いた。
思わず漏らした声に反応してあたしの方に振り向く彼。
「どうした?」
「袖。裾がほつれてるのよ」
ん?と彼は自分の服の袖を見る。が、彼から見たら死角の部分。あたしだって後ろから見たからわかった。
「こっちきて。直してあげるから」
あたしは自分の部屋の扉を開けて言った。
面食らったような彼の表情。
「…何よ?」
「いや、お前さんがそーゆーことできるのかな、と思って」
「失礼ねっ」
あたしはぐいぐいと彼の腕を引っ張ってうながした。
彼にその服を脱いでもらって、あたしは自分が持っていた針と糸でそれを繕う。
その姿をやはり驚いたようにガウリイは見ていた。
「へええ。うまいもんだな」
「まあね」
「………そーゆーのは、記憶を無くしてても身についてるもんなのか?」
不思議そうに言うガウリイに、ああ、とあたしは彼の驚いていた大きな理由に気がついた。
「違うわ。シルフィールに上手いやり方を教わったのよ」
彼女は一緒に旅をした仲間の中で一番あたしに知識をくれたと思う。
魔法の理論、裁縫、あたしが前一緒に旅をしていた人とのこと。
「……そう言えばあなた、どうしてあんなにシルフィールを避けたの?」
縫いながらあたしは言う。
シルフィールたちと旅をしていたあたしを、ほとんど無理矢理引っ張って連れ出したのは彼だった。
シルフィールから一番聞かされてた『あたしが前一緒に旅をしていたひと』と特徴が完全に一致してたのですぐにわかった。
あたしの―――自称保護者だと、言う彼。
「言っただろ?シルフィールは苦手なんだ」
「……ふうん」
誰にでも打ち解けそうな雰囲気を持った彼。
その彼が苦手、とするひとは多分少ないだろう。
苦手、とする理由。
「好みのタイプ、じゃないんだ?」
あたしが言う。彼はその言葉に、困ったような、どう答えていいのかわからないような曖昧な表情をする。
シルフィールが彼を想っていたのは話を聞いていればすぐにわかった。
……痛いくらいに語るから。
「あなたの好みのタイプってどんななの?」
縫い終わって針と糸を片付けながらあたしは言う。
戸惑ったような表情。
「どんなの、って言われてもなあ」
シルフィールが苦手、と言う事は逆のタイプなんだろうか。
活発で。明るく前を突っ走るような。
………。
――――それが、シルフィールや他のみんなが語る、『あたしのイメージ』なことに気付いて思わずどきりと心臓がはねた。
服を彼に渡すため顔を見れば少しだけ切なそうに、あたしに笑んだ。
「惚れた相手が、タイプだと思うから」
思い出したい、と想った。
彼のこと。自分のことをきちんと、他の人の記憶でなくあたしの記憶で。
―――思い出したい理由は。
渡した服を着て、ありがとな、とガウリイは立ちあがりあたしの頭を優しく撫でる。
なんとなく―――本当になんとなく。
あたしも立ちあがり彼に少しもたれかかるように、服の胸元の部分をきゅっと掴んだ。
部屋に戻って欲しくない、と想ったんだろうか。
寂しい、と。それは自分でもよくわからない。
顔を見上げれば驚いた顔。
言葉はお互い出てこなかった。
記憶を無くしたあたしは彼といる時間は、まだとても少ない。
けれど彼の存在を知っていた時間を含めたら決して短い時間ではなくて。
少しだけ、今は見えない夢を見たいと思った。
それを望んでいる気がした。
彼の腕があたしの肩にまわる。
顔がゆっくりと近づく。あたしは目を閉じかける。
―――でも。
「リナ」
本当に目の前で彼がやはり切なそうに言葉を発した。
それは吐息がかかるくらい近いのに。
「明日、例の遺跡に行くんだろう?早めに寝ろよ、盗賊いぢめに行かないで」
そう言ってゆっくりとあたしから離れる。肩にまわった腕はそれを促して。
彼はその夢を拒んだ。
きっとわざと。
どうして?
あたしの推測が違うから?
本当に自称保護者で、それ以上の感情なんてないから?
それとも――――
記憶を無くしたあたしだから?
彼と共有する記憶が少ない状態だから?
おやすみ、と呟いて去る彼はその時見送ったあたしが悲痛な表情だったのをきっと知っている。
思い出したい。思い出したい一番の理由は――多分それ。
夢を願って次の日には何事も無かったように、何も思わなかったようにとりあえず振舞った。
彼も同じく何も言わない。
――そうして続けた旅の先は、とても痛かった。
「……知ってた、の?」
あたしがリナ・コピーだとわかり。
本物のリナを助けた日の夜。
明日からみんなばらばらに旅をするということになって、最後の夜に。
あたしはガウリイの部屋を訪ねた。
彼は相変わらず、あたしがコピーだとわかってからよく見せる戸惑った表情を浮かべながらも部屋に入れてくれた。
本当は訊くまいと思ってた。
自分が本物のリナでないとわかった時点で、夢はありえないものになったから。
けれどどうせ、最後ならばと。
意を決して訊いてみた。
あの時拒んだのはリナでないとわかっていたからなの?
「…リナじゃないって、ことか?」
こくり、とうなづく。彼は椅子に座ったら、と促すけれどあたしは立ったまま。
「知らなかった、というか。自信が無かった、というか」
歯切れ悪く答える彼。
多分純粋に五分五分だと思っていたのだろう。
「お前さん、本当にリナに似てるところ多いし」
それは喜ぶべきだったんだろうか。
けど、と彼は言葉を続ける。
「どっちにしても今までのことがお前さんにないなら。
リナに出会ったときと同じところから始めよう、って思ったから」
だから、途中から続ける事は出来なかった。けれど始めることも結局は出来なかった。
中途半端。
「そう」
あたしは小さく言って無理矢理微笑う。
「あの時―――覚えてる?」
「え?」
あたしはあの時と同じ様に彼の傍に近づいて。彼の服の胸元のあたりをきゅっと掴んだ。
もう一度。
目の前には彼の顔。
あの時と同じ驚いた表情。
違うのは。
彼に迷いがあるか否か――。
あたしはリナで無いとわかっている事実―――。
きっとあたしはあの時の様に拒まれる、と思っていた。
拒んでくれればきっと楽になれると思った。最初から最後まで結局夢は存在すらしなかったのだと。
リナの時でも、そうでなくても拒まれていたのだと。
明日から一人で旅立てると。
――けれど彼の腕はあたしを少しだけ引き寄せた。
―――え―――
そう思ったとき。暖かいものが額に触れた。
ゆっくり彼があたしを離す。
ごめんな、と呟いた。
謝ったのは、きっと彼はあたしを相手にじゃない。
彼自身にだ。
卑怯。
「――もし本物の、『リナ』でも同じように額にキスしていた?」
からかうように言いながら無理矢理に笑ってみせた。必死に涙がこぼれそうになるのを誤魔化すために。
彼のほうは、笑わない。
答えは、そんなわけがないとその謝罪が物語っていた。
卑怯なくらい、彼は優しすぎて。
けれど残酷で。
彼は止めは刺さない。
あたしは夢から抜け出せなくなる。
リナでいたいと、ずっと目指していた場所に居たかったと、諦められなくなる。
ありえない夢に縛られて。泣いて。
「あたしは、あなたをずっと好きでいるから」
彼の目を見て最後に言葉を紡いだ。一方的に、静かに―――けれど強く。
明日別れてから2度と会わなかったとしても、どんなにあなたが誰かを愛していたとしても。
憶えていて。
彼が縛りつけたつかの間に見た夢の分だけあたしは別のもので彼を縛りつけた。