La Corda d’Oro-金色のコルダ-

その腕が触れるもの

 

――――いつもこの屋上への扉を開いたと同時に眩しさに目が眩む。

この時期この時間光が直接入る角度に太陽が位置しているのだろう。

目が慣れるまで細目で私は屋上の中央に向かう。細目でも

若干光を見てしまったからうまく見えない。屋上としては危ないなあ、と思う。

けれどこの学園の屋上は広いからきっと心配いらないのだろう。

だから不意に後ろをとられて目隠しされても一瞬何が起きたのかわからなかった。

 

「え、あ」

あまりにふわりとやわらかく目を覆われたものだから太陽が消えたのかなんて馬鹿なことを思ってしまう。

自分の目を覆っているのが人の手だと認識して私は自分の手をその手にやる。

大きな手。男の人の手だ。けしてごつごつはしていないけれど。

「……柚木、先輩?」

おそるおそる私はその目隠しの犯人候補の名前を呼ぶ。

簡単な推理。この屋上は普段人がとても少ない。そんな屋上を先輩は好んでよく来ている。そして私はそんな彼に会いたくてやってきた。

そして、私にこう言ったいたずらめいたことをする人はこの学校でとても限られている。先輩以外ほぼいないと言ってもいいかもしれない。

 

名前を呼んだもののその手は私の視野を解放してくれはしない。

笑っているようなそんな息づかいというか空気が感じられる気がするけれどそれも定かではない。

もしかして別の人で、間違えたかもしれない、と思う。だとしたら私の口から柚木先輩の名前が出たのはまずいのではないだろうか。

焦りが生まれた。

抑えている手をたどり、私はその人の腕をつかむ。その瞬間察した。――――先輩じゃない。

とても締まった筋肉で構成された腕だ。体育会系。土浦くんとかそのあたりかもしれない。

どちらにしてもまずい。何故なら私たちの関係は誰も知らないからだ。

絶対的な秘密ではない。けれど私から公言するのはまずいと知っている。親衛隊の存在で。

 

わたわたとしてその手を片手で外そうとする。と、やっとその腕の主は言葉を発した。

「…お前ね、俺以外に誰がいるって言うの」

―――――え。

手が外され、私は即座に後ろを振り返る。そこには呆れ顔の柚木先輩の姿があった。

「先輩?」

「他に誰もいないよ。誰かにこう言うところを見られる気はないからね」

思いの外反応に楽しめたな、と言う。本当に楽しそうだからいじわるだ。

「だって、びっくりしましたから」

素直な感想を私は言う。いじわるな彼に悔しいと思い、こちらも張り合おうとするのだけれどいつも口はそれを無視して素直な言葉を紡いでしまう。それがまた悔しい。

けれど嬉しそうだからまあいいかと思う自分で完結する。

 

「そんなに気配を消して近づいたつもりはないけどね」

「いえ、その、触った腕が」

「腕?」

言われて服をまくるわけでもなくちらりと自分の腕を先輩は見た。

「とても締まっていたというか。がっちりしていたので」

「……」

そう言うと眉をしかめて私を見た。

―――触れられたくないことだったのだろうか。そう言えば先輩が半袖を着たりして腕を公に見せたことはない。私は少なくとも知らない。だから意外だった。

まずいこと言ったのかもと顔を青ざめると、先輩はまた

笑った。

「本当に、お前は見ててあきないね、百面相」

言って私の手元のバイオリンケースに視線を向ける。当然ながらそれにはバイオリンが入っている。この昼休み時間があけば少しでも練習できたらなという思いからだ。

 

やっと最近魔法の力なしでそれなりの曲がこなせるようになってきた。先日のクリスマスアンサンブルコンサートなどの出来事がなかったらとてもじゃないが無理だったと思う。

みんなの力と、そして後のない状況にいわゆる火事場の馬鹿力のような極限状態のおかげで上達せざるを得なかったというかこなすことができた。

今は落ち着いて、またゆっくりとバイオリンの練習をする日々。

 

「お前は左腕大丈夫なの?肩当てをしたとしても」

「え」

言われて何のことかとわからず私はきょとんとする。

演奏中だよ、と先輩は言う。

「楽器はそれなりの重さがある。そして演奏曲によってはかなりの時間同じポーズで楽器を支えながら演奏しなくてはならないだろう。ある程度鍛えた腕でないとならないし自然とそうなる」

言われて、あ、とようやっと意味が分かる。

 

先輩の楽器はフルートだ。しかも先輩のものは金色で特別に作られたものだと言う。触ったことがないけれど当然それは重いのだろう。

それを思いのまま操りながら演奏するとなると確かにその腕にある程度の支える力がなければならない。バイオリンと違って肩に当てて安定を保つこともできないし。

 

「考えたこと、ありませんでした」

確かに魔法のバイオリンを初めて使った頃は妙な体制をとり続けたせいで筋肉痛めいたものになった。でも今は慣れてしまった。

 

どれごらん、といきなり先輩が私の腕をつかむ。バイオリンを持たない方の手。

ひゃあああと内心叫び驚く。もちろんそんな声出したら怒られるから口を閉じるけれど。

私の腕を制服の長袖越しに確かめながら上から下まで触れる。その、予想より男っぽい先輩の腕で。

「顔が赤いよ、香穂子」

至近距離で囁かれる。

それなりについているみたいだね、と言う。自分では意識してなかったけれどそう言うのならそうなのだろう。柚木先輩ほどでないのは性別が違うのだから当たり前なのだから。

 

「まあ、多少醜いかもしれないけどね。けれどそれだけの努力をした結果だと思えばいい」

――――あ。

「もしかして――――」

言いかけて私はやめる。

 

もしかして――――先輩がいつもその腕を見せないのはそれが理由なんですか、と言おうと思った。

けれどやめた。きっとこの人の性格上それを肯定はしないだろう。したとしても醜いから、という方かもしれない。でも私が思ったのはそちらの理由ではない。

 

―――それだけの練習量を重ねてこの人は音楽を、フルートを自分のものにしている。

努力をしてきた。その結果だからこそ、見せたくない。

いつも優雅で、努力をしているといった姿は見せない先輩。きっと、努力したという事がみっともないと思っている。だから水面下でもがくのだろう。いつもなんてことない優等生ぶりしか見せない。

多分本当の姿を見せる私にもそこまでは言わないと思うけれど、気づかせてくれる言葉を紡いでくれたことが――嬉しい。

 

 

「何?また百面相してる」

何でもないです、と言うと不満そうな表情をする。

何気なく、彼の方も私を見てこういう時百面相とまでは言わないものの表情が変わることに気づいてないんだろうなあと思う。

「まあお前が俺のいないところでむやみに腕や肌を出す服を着るような真似はしないだろうし。思う存分鍛えるといい」

言って肩を抱かれ支えられる。

その腕は私を嬉しそうに触れて離さない。

フルートを支えるための腕。けれど、今この時は私を支えるための腕。

――――彼がこうして充実している表情を見せるための腕ならいい。そこに、彼の表情通り、私、がいたなら。私の腕もそういうものになれたら。なりたい。

 

「香穂子。向こうのベンチで昼食にしようか。三月の音楽祭の話は聞いた?」

そう囁く彼の腕をもう一度私はこっそり触れた。