Topic of 10 with the image from the numbers  
-数字からイメージして10のお題-

04.四面楚歌




久しぶりに、あたしは、『人』を『斬った』。





 

とある日の晩。

雨が降りしきる中、あたしは他にすることもないのもあって、剣の手入れを始めた。

いつもなら簡単なものでいいのだが、今日はそうもいかなかった。

使用したからだ。ショートソード。

 

―――静寂の中、外の雨の音と剣を扱う音だけがしばし響いた。その後あたしの部屋のドアをノックする音。

「あ、はい」

突然した音に自分でも驚くほど反応して、手入れに没頭していたことに気づく。

刃物を置き、立ち上がって扉へと向かいノブに手を伸ばす。

その時の自分の手の感覚が奇妙で、これまた久しぶりの感覚で一瞬戸惑った。けれどすぐに、気を取り直して扉を開く。

 

「…ああ、やっぱり」

あたしを見た瞬間に訪れたガウリイは開口一番でそういい、へ、とあたしは眉をひそめる。

部屋の奥を見ながら確認するように彼は言った。手に持ったものをあたしに見せて。

「油。足りるか?」



剣の手入れ用の油。ああ、と思う。あたしが今何をしているのか読めていたのだろう。剣を使用したとき傍にいたのだから当たり前かもしれない。剣士なのだからなおのこと。

やっぱり、は奥の光景を見たからよりも、あけたとたんに油の香りがしたからだろう。

「ありがと。最近買ってなかったからさ。ちょっときついかなと思ってたとこ」

わざわざ持ってきたところも配慮して、受け取って帰すのもあれかな、と思い、入る?と訊く。予想通り彼はあっさりとうなづきあたしの部屋に入った。

 

代わりに手入れしてやろうか、という彼の申し出をあたしは断る。

「自分のだしさ。自分でしっかりやりたい、ってのあるじゃない」

じゃあリナがやってるの見てる、といい彼はベッドに腰掛けた。

あたしは苦笑した。

「…どしたの?魔法と違ってもの珍しくもないだろに、あんたにとっては。あ、それとも手順プロの目から見て効率悪くないかチェック?」

「いや。そーゆんじゃなくて」

手、大丈夫か、と思って、と歯切れ悪くつぶやいた。あたしは思わず目をしばたたいた。

多分、気づかれたのだろう。夕飯のときフォークを握り食べ物を刺す力が強すぎてこぼしかけては笑って誤魔化した。

けど、きっといつもそばにいる彼にはそれだけの変化も十分な異常に見えた。

 

「…別に、怪我してとかじゃあないから大丈夫」

久々すぎたからさ、とつぶやく。その意味を彼は知っていた。

 



――――旅なんかしてると命の危険、に立たされる状況というのはもちろん可能性としてそこそこある。

けれど天才魔道士のあたしと、剣士のガウリイで大体の敵は普通なら軽く打破する。まあ相手が魔族だとかならばもちろん勝手は違ってくるのだが。

あたしは魔法で。彼は剣で。

しかし、今日はそうはいかなかった。

あたしが魔法を使えない日にかかっていたから。

 

それでもガウリイ一人に任せられる程度の相手だから最初は大丈夫だと思ったのだ。このあたりを荒らしている山賊。調子に乗って真昼間から金銭目当てに先ほどいた町を荒らした。

大丈夫、と思ったのはほかでもなく、相手がただの『人間』たちだったからかもしれない。

あたし達の最近目の前に立ちはだかる相手は『人間』ではなかった。

 

ただ、人数が多すぎた。

ガウリイのみを戦わせ傍観してられればよかったのだけれど、そうもいかなくてあたしは腰のショートソードを抜いた。

 

逃げ惑う人々と山賊と。

見分けて、襲い掛かられては即座に切りつけた。

血飛沫が舞った。

 

今更だ。『人間』なら剣で切れば血が出るし、それが場所や量によっては致命傷になることも。結果屍として残ることも。

あたし自身そう言ったことで物理的にどれだけ傷ついてきたかわからないし、どれたけの屍を見てきたかなんてわからないし。そもそも『人間』を殺したことそのものだってかなりある。

けれども―――久しぶりだったのだ。魔道士である、あたしにとっては。

剣という、感触の残りやすい武器で、『人間』を殺し続けたのは。

自分が切った『人間』が屍として転がり、『人間』でなくなりそこに遺るのを見たのは。

魔族やら人魔やら土に還れないものとは違う存在。

 

やりすぎだ、と普段の彼なら怒ったのかもしれない。

ガウリイはやさしいし、剣の扱いに長けている。

致死とまではいかず、ぎりぎりのところのまでで生き残り役人に突き出された彼に傷つけられた人間はあたしが斬った人間よりずっといた。

それをしなかったのは、未だに説教をしないのは、魔法のない状態なら仕方ない、と思っているのかもしれない。

でもあたしは、その事実に甘える気もないし、逆に、後悔する気もない。だってそもそも相手は悪人なのだから。

だけれど、なんというのか。違和感、というべきなのか。未だに感覚が残っているような気がするのに、妙に慣れない。慣れるというのもどうかとは思うけれど。

 



「……あんたもさ、剣使い始めた頃、こういうことなかった?」

手入れをする手は止めぬまま、彼のほうを見るでもなく。あたしはあえて軽い調子で言う。

初めて人を斬った頃、という意なのだがあえてその表現を避けた。

あー、と小さく呻いた声が漏れる。そして弱めの声で、忘れた、と彼はつぶやいた。

 

―――それは本当なのかわからないけどガウリイらしい答え。

そういう彼だから向いているのだろう。剣が。否、逆なのかもしれない。

剣士だからこそ記憶に残さない。もちろんそれ以外に性格もあるんだろうけど。いくらなんでも剣士全員がガウリイ並みに何も考えてなかったらあれだし。

感覚を残してはいけない。

 

磨いた剣を眺めれば宿屋の暗めのランプの中でもきちんとした輝きを放つ。

よっし。

「まあ、魔族相手にするよりはましだしね」

言いながら剣を鞘に収める。と、優しい声で―――どこかなだめる様にガウリイが言葉を紡いだ。

 

「相手が誰であろうと―――どうにもならない状態での行動なら、仕方ないだろ」

 

そう言ってあたしの手に彼は自分の手を添えた。

心臓の鼓動が一瞬高まったのには気づかれないようにあたしはその二つの手を見る。

大きな手はあたしの手を労わるように覆いこんでやさしく握る。

しばし―――外の雨の音だけが響く中ガウリイは言葉を重ねる。

「どうにもならない時の行動なら、どんな時でも、いつでも。結果どうにかなった後なら、気にしなくていいと思う」



――それにああやっぱりと言う感情と、ちょっと意外、という感情が入り混じる。仕方ない、と思う理由が若干違っていたから。

彼の中ではこちらが強かったのか。

どうにもならないとき。

追い詰められたとき。

 

けれどあたしがあんなのより、前にずっとずっと追い詰められた時何をしたのか彼は知らない。

追い詰められたとき、そしてそれによりいろんな偶然が重なって『今』を結果手に入れたことも。

大きすぎてあんなの後からの感覚なんて残らなかったくらいの。

 

許してしまうのは、許そうとしてしまうのは、何も知らないくせに――いや何も知らないからなのか、彼のずるいところだなあ、と思う。

ずるいと思うからあたしは甘える気も後悔する気も両方しない。

忘れないけれど背負いすぎもしない。

ぎりぎりのところを保つ。

知ったら彼は同じことがやさしく言えるんだろうか?――そして。

その時あたしは今くらいの平常心まで保てるんだろうか?

 

すっとガウリイがあたしから手を離す。

後に残った手の感触は先ほどとは違う暖かさ。

やさしさ。

それまであった違和感が消える。彼が消した。

 

「四面楚歌なんて、そうそうあっても困るんだけどね」

それにあたしは苦笑した。

いつでもって、と突っ込めば彼も笑った。

 

けれどその「いつでも」はきっとそれは当たらずとも遠からずなんだろうな、と内心思いながら。

―――あたしは彼の知らないところで、彼がくれた感覚に追い詰められた。