10 of us die from converting -変換してから10のお題-
05.かみ(髪)
また幾月ぶりかの独特の香りが、彼から感じ取られた。
「下の食堂に美味い酒があるらしいぜ。呑みにいかねーか?ミリーナ」
夜彼がそう言って私の部屋に訪れた。
寝ようとしていた所だったもののまだ着替えてもいなかった私はその誘いを受けた。
先に行ってるから、と去る彼の後姿をふっと見つめた。
あの香りが微かにしたのに気付いたから。
「……髪、染め直したのね」
食堂で椅子に腰掛け、酒に口付けながら。私はぽつり、と彼の頭を見て言う。それに、ああ、と彼は答えた。
少し見た目湿ったように見えるその髪に自ら触る。
「そろそろ付け根の方が赤くなってたからな」
「……そう」
何ヶ月に一度。彼はどこからかで教わったと言う髪染めの技術を自分に行う。作るのに多少骨がいることから一般的には普及されていない髪染め。
本来は赤毛。
初めて会ったときはそれは鮮やかな赤だった。
―――――私の嫌いな髪の色。
黒く染めるには何かの薬草だか薬を煮詰めてそれを塗りこめて馴染ませるらしい。前そう言っていたのを覚えてる。
その薬草の匂いらしい。独特の香りの正体。
「……嫌か?この香り」
苦笑いしながらルークは言う。
唐突な質問に私はただ黙りこんで彼を見つめた。
香りがどうのこうのと彼に直接言った事はない。それなのに。
「染め直した時いつも不機嫌だよな。だから今も誘い断られるかと思ったんだけど」
――――不機嫌?
そうだろうか。そう見えるのだろうか。
けれど彼の最初の質問に答えるならそれは否定。
悪い香りではない。特徴的な香りだとは思う。でもけして不快ではない。それに本当に微かな香りだ。
「でも少し経つといつも通りだから。ああ、香りが駄目なのか、と思った」
違うわ。
と、言おうかと思った。
けれど何故か言葉として口の中から生まれてこない。
「―――まあ、香りの強い酒を呑む時には向いていないのは確かね」
代わりに呑んでいる酒の瓶を眺めてそうとだけそっけなく言った。
彼に対して伝えられない言葉がいくつあるのだろう。
元々私はそんなに言葉を操るのが得意な方ではないけれども、彼に対しては不思議とそれが多くて自分の不器用さを思い知る。
髪を染めるから。
そう言われた時も私は何も言わなかった。
赤毛が嫌いだからあなたと旅をするつもりはない。
そう伝えた後に彼が言い出した台詞。
まさか本当に染めるとは思わなかった。
――なら私はどんな未来をあの時見ていたのだろうか。
そう言って彼が諦め、自分が変わらず一人旅をする未来か。
他の未来なのか。
自分の染め直した髪をかきあげる彼に言葉が生まれる。
出したい言葉は他にもいくらでもあって、それは出てこないのにすんなりと。素直に。
「…染めてすぐ触れると汚れるんじゃありませんか」
きょとん、と私のその言葉に反応し。にっと笑ってその手を彼は見る。
この食堂の薄暗さもあってよくみえないけれどやはり若干は触れた手が黒ずんで汚れた様に見える。
「よごれてねーよ。この程度」
「………」
もっと汚れた場所にいたから。黒ずんだもので。
その声がそう語っている気がした。
「呑みきったしそろそろ部屋戻るか。付き合ってくれてありがとな、ミリーナ」
控えめな言葉。
今日はうるさく私を攻めない。
髪を染めた日だけは何故かそうなる。きっとお互いが思い出すから。過去のことをそれぞれ。
彼は赤い髪だった頃の自分、そして私は彼に赤い髪を辞めさせた理由を。だから今を見る余裕がない。
現在でないものを見て、この日だけ止まって。髪の香りがしなくなった翌日からまた新しく2人で走り出す。
部屋に向かう際に前を歩くルークの後ろ髪に私は気付かれない程度にそっと触れた。
指先だけが少しだけ黒く染まる。
けれどもそれを洗い流す気にはなれず、私はそのまま心に生まれた何かを感じて自分の部屋に黙って戻った。